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瀬戸焼

瀬戸焼

『セトモノ』として、もはや食器の代名詞かのように扱われることも多い瀬戸焼。
もともとは愛知県瀬戸市で作られる焼き物のことだってご存知でしたか?
なんと1000年近く前から焼き物を作り続けている瀬戸について、独自解説していきます。

瀬戸って、どこよ?

瀬戸市は愛知県東部に位置し、岐阜県との県境にあります。
名古屋の中心部までは20kmほど。
瀬戸に限らず、このあたりは古来から非常に焼き物が盛んな地域です。

瀬戸と言えば焼き物。そして藤井さん。

瀬戸=焼き物でしたが、近年、そのイメージが更新されるほどの大人物が活躍しています。
それは将棋の藤井聡太さんです。うかつに称号とか付けられないですよね、変遷が激しすぎて。
そう、藤井さんは瀬戸市の生まれ育ちなんです。

僕は将棋については「ルールは知ってる」程度なので全然大した解説はできないんですが、彼はすごいですよね(としか言えない)。
以前、瀬戸に行った際に入ったご飯屋さんには、壁一面に藤井さんが出たときのスポーツ紙やら一般紙やらが貼り付けてあって、それはもう壮観でした。

さらに、テーブル脇には藤井さんが昔作った詰将棋の問題が貼ってあって、ご飯が来るまでに楽しめる仕掛け。
将棋好きの人だったら考えるのに熱中して、食事そっちのけとかになっちゃいそうですよね(笑)。

藤井さんコラボで陶磁器製の将棋駒とか作ったらどうかな。
まさかの駒が割れて使えなくなるという新ルール。

まあ、彼はそういう商売っ気に巻き込まれるの嫌いそうだから、静かに将棋道を邁進させてあげたいですが、せめて瀬戸焼のマイ湯呑なんかを対局に持ち歩いて、それがきっかけで瀬戸焼が注目されたらいいなーなんて焼き物好きとして勝手なことを思ったり。

瀬戸焼の歴史

さて、瀬戸焼の歴史を見ていきましょう。
と言っても、普通に堅苦しくやっても面白くないので、僕の興味がある部分に偏って話します。

鎌倉~室町

まず始まりはおよそ1000年前の鎌倉時代。
瀬戸の周辺はそもそも焼き物が盛んな地域が多いのですが、当時、陶磁器の主流は焼締め(炻器)でした。
一方、瀬戸では中国の陶器を参考に釉薬をかけた器の制作に成功。
これが大人気となります。

焼締といえばこんな感じの器。

釉薬をかけないのでゴツゴツして土の質感が際立った風合いになります。

一方、釉薬をかけた陶器はご存知、こんな感じ。

釉薬の種類にもよりますが、つるんとした光沢と明るい色になります。

現代であれば施釉(釉薬をかけること)した陶磁器が一般的なので、「逆に焼締の素朴な風合いが良い!」ということもあります。
しかし、もし世の中のほぼ全ての食器が焼締で、そこに陶器があったら・・・?
目立つでしょうね~。かわいいー!ってなるでしょうね~。

そんなわけで瀬戸の施釉した陶器は大人気。
といってもそこまでの大量生産ができるわけではないので、庶民には手の届かない高級品として、有力者や神社仏閣での使用が主でした。

時代も200年ほど下って室町時代になると、技術や効率も発展し、だんだんと庶民にも施釉した陶器が普及し始めます。
こうして瀬戸は焼き物の産地として名を馳せていきます。

室町~戦国

そんな順調に発展を続けていた瀬戸に大事件が起きます。
それが瀬戸山離散
う~ん、なんて物騒な響き。ワクワクします。

時は1500年代中盤。
織田信長がだんだんと勢力を伸ばし始めた頃。
尾張清須の織田家はなんやかんやあって、美濃の斎藤家を攻略。
本拠を美濃に移します。
2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」を見ていた方にはおなじみの展開。

その際、瀬戸にいた陶工(陶器を作る職人)たちはこぞって美濃へと移動してしまうんですね。これが瀬戸山離散です。
ちょっと位置関係を整理しましょう。


こんな感じです。
そこまで大規模な移動ではないですね。今の愛知県から岐阜県への移動です。
理由は信長に移住を強制されたとか、良い条件で商売させてくれるから陶工たち自ら移ったとか諸説あります。

いずれにせよ、有力な陶工がいなくなってしまった瀬戸は当然衰退の危機。
逆に美濃では美濃焼が発展し始めます。
瀬戸山離散よりも前から美濃焼自体はあったんですが、瀬戸から優秀な陶工が移ってくることで一気にレベルアップしたんですね。
瀬戸、ピーンチ!!

戦国~江戸

そんな瀬戸に大逆転のチャンス到来。
世の中はなんだかんだあって徳川家康が天下を取り、江戸幕府を開きます。

もともと徳川家康は先祖代々、岡崎(今の愛知県東部のあたり)を治めていました。
ですが、先に天下をとった豊臣秀吉に、
「家康く~ん。きみ、江戸に行ってくれるかな~?嫌とは言わないよね~?」
というパワハラをうけて、江戸に移らざるを得なくなります。
もちろん、住み慣れた岡崎は秀吉に取り上げられました。ひどい。

今でこそ日本の首都であり世界でも有数の大都市TOKYO、その基となった江戸ですが、家康が移った当時はひなびた漁村でした。
よく言われることですが、東京の地名って冷静に見るとド田舎もいいところなんですよね。
渋谷、青山、上野、池袋などなど・・谷だの山だの野だと池だの自然しかない。
まあ、そもそもは家康の力を警戒した秀吉による嫌がらせなので当たり前といえば当たり前なのですが。

余談中の余談ですが、例えば『岐阜』とか地名の由来ご存知ですか?
諸説ありますが、織田信側がこの地を攻め取った際、岐山(中国の古代王朝が変遷する際に鳳凰が舞い降りたとされる山)の『岐』と、曲阜(学問の祖である孔子が産まれた地)の『阜』をとって、名付けたそうです。
新たなる太平の世と学問の地であれという願いを込めて。
かっこいい、かっこよすぎる。
それに比べて青山のシンプルさ(笑)。

話を戻します。
それでも家康くんはめげずに、江戸を栄えさせるべく奮闘。
関ヶ原で勝利し、天下をとったことが追い風となり、急速に発展します。

発展した都市には多くの人が住むようになり、色々なものが必要になります。
食器もその一つ。引っ越してきて食器買おうと思ったのに「この街には食器売ってるところ無いよ」って言われたら、どうなってるんじゃ!ってなりますよね。

江戸、もとい関東周辺には当時、そこまで大規模生産が可能な焼き物の産地はありませんでした。
そこで白羽の矢が立ったのが瀬戸!(ようやく出てきた)

瀬戸がある尾張国は尾張徳川家として家康の親戚が治める地になっていました。
瀬戸で焼き物作りまくって、それを江戸に運べば良いじゃん!
なに?陶工が美濃に移動しちゃって、瀬戸にはほとんど残ってない?
え~い!!呼び戻せ!!

ということで、瀬戸山離散で美濃に移動した陶工たちは江戸時代初期になって瀬戸に戻ってきます。なんか、巻き込まれまくって大変ね。

陶工たちが戻ってきた瀬戸はかつての勢いを取り戻し、めでたしめでたし。
といくと誰もが思いました。
しかし、真のピンチはここからだったのです・・!

~江戸後期

時代の流れを受けてかつての勢いを取り戻しつつあった瀬戸ですが、そこから遥か離れた九州の有田では大事件が起こっていました。

1610年頃、有田では日本初となる磁器の生産に成功。
軽くて丈夫で水を通さない磁器は次第に日本全国にシェアを広げていきます。
そのあたり詳しくはこちらをどうぞ。
陶器しか作れない瀬戸ではその波に対抗できない。
というか、磁器の製法は有田の秘伝であり、誰も作り方を知らない。
どうする・・・?盗むか!

ということで1800年始め頃、瀬戸の陶工「加藤民吉」によるスパイ大作戦が決行されます。
約4年間、素性を隠しつつ有田に潜り込んで修行をすることにより、民吉は磁器の製法を取得。
現地の陶工たちにその製法を伝えることで、瀬戸でも磁器の生産に成功!
瀬戸は陶磁器の産地として、再び発展を取り戻すのです。
いや~、ドラマ。
実際、この民吉が磁器のノウハウを瀬戸に持ち帰るまでの出来事は歌舞伎や芝居の題材にされたことも多々あるそうです。

ちなみに民吉は瀬戸に磁器をもたらした功績から『磁祖』と崇められ、瀬戸の窯神神社(かまがみじんじゃ)に祀られています。

その後もプラスチック製食器の普及や窯業全体の低迷をうけるなど様々な試練を経験しながらも生産を続け、『セトモノ』として日本における陶磁器の産地として一大ブランドを誇っています。

瀬戸焼の特徴って?

特徴、そう、特徴ね(遠い目)。
いや、瀬戸焼の特徴って難しいんですよ。

まず、これまでお話してきた通り、歴史が半端じゃなく長いこと。
そして、陶器も磁器も作ってること。
さらになんと言っても、瀬戸焼は庶民の生活道具としての陶磁器を作り続けてきたこと。

例えば、伊賀焼などのように芸術/鑑賞用としての性格が強いものだと特徴も出やすいんですが、生活道具となるとその時々の流行りなんかも取り込んでいかないといけないので、『これ!』っていう特徴が定まりにくいんですよね。

ということで、絶対的な特徴ではないんですが、瀬戸といえばやはり釉薬ということで少しご紹介します。

七色の釉薬!赤津焼

瀬戸焼の中でも、鎌倉時代に「高級品」として作られていたものを古瀬戸(こせと)と言います。
瀬戸山離散で美濃に行った陶工が瀬戸に戻ってきた際、赤津(瀬戸の東端)で古瀬戸にならって作り始めたのが赤津焼です。
瀬戸本来の釉薬テクニックが色濃く残っているとされ、赤津七釉と呼ばれる
「灰釉」(かいゆう)「鉄釉」(てつゆう)「古瀬戸釉」(こせとゆう)「黄瀬戸釉」(きせとゆう)「志野釉」(しのゆう)「織部釉」(おりべゆう)「御深井釉」(おふけゆう)
の7種類の釉薬が使われます。

色もそれぞれの釉薬で異なり、青/緑/白/茶/黃/藍などなど実に様々。
赤津焼は高級陶器として茶器や花器となることが多いですが、一般使用向けの陶磁器にもそのテクニックは反映されています。

上の豆鉢は瀬戸焼で飴釉(あめゆう)が使われています。

当店自慢の瀬戸焼たち

うつわバンクでは店主が直接瀬戸にいって厳選してきた瀬戸焼がたくさんあります。
ぜひ手にとってみて、歴史に想いを馳せてみてください。

瀬戸焼 ダイヤループ 大

シンプルな白地に折り重なるように描かれた幾何学模様。
派手さはありませんが、料理を美しく見せる、まさに生活のためのお皿です。

瀬戸焼 ダイヤループ 大

瀬戸焼 5寸浅鉢 イエロー

昔ながらの産地だから渋いものばっかりなんじゃ?と侮るなかれ。
こんなに鮮やかな黄色もあります。
唐揚げなどお肉系をとても美味しく見せてくれる発色です。

瀬戸焼 5寸浅鉢 イエロー

まだまだある瀬戸焼!

クラシックからモダンまで、実に幅広いラインナップを誇る瀬戸焼。
どうぞゆっくりご覧ください。

うつわバンクの商品一覧-瀬戸焼

瀬戸焼、どうでしょう

長々とおつきあい頂き、ありがとうございました。
少しでも瀬戸焼に親近感を得て頂けましたか?

1000年以上の歴史がありますからね、僕なんぞがこのページでまとめるのは実におこがましいのですが、興味をもってくれる人が増えれば嬉しいです。